化粧と私〜なぜ化粧をするのか〜
私が化粧をはじめたのは遅めで、大学1年生の夏頃だった。
それまではどちらかというとアンチ化粧寄りの価値観で、周りの女子たちがいっせいに下手くそな化粧をしはじめるのを怪訝な顔をして見ていた。
厚塗りのファンデーション、浮きまくりのチーク。それらを見て私は「こうはなりたくない」と思い、スッピンのまま通学する日々を送っていた。
私としては、そういった自分の個性を大切にする価値観を誇らしく思っていたが、そんな私に母は何度も「大学生にもなったんだから、お化粧ぐらいしなさいよ…」と語りかけてきた。
ついこの間まで(高校生時代)は「若い頃に化粧なんかすると肌が荒れるよ!今はしなくて十分!」って散々言ってきた大人がいきなり手のひら返してきたのだ。
ちなみに、私の通う高校は化粧もピアスもOKだった。高校時代も、自ら選択してスッピンで生きていた。選択的スッピンだった。
母の言葉に「同期たちみたく不慣れな化粧顔をさらして歩きたくない」と返すと、母は「でも、あんた就活はじまったら絶対化粧するわけでしょ?今、化粧の下手な子たちはそのころ上達してるけど、あんたはその時になっても下手くそだよ?」と。
正論だ、とその時は思った。
それから、はじめてアイシャドウを買い、眉毛を描き、アイラインを引き…徐々に化粧をするようになると、変化が起こり出した。周囲からの扱いが変わったのだ。
うまく言えないが、それまで“そこに存在する人間”的な扱いだったのが、若干“かわいい女の子”扱いへと傾き始めたのだ。
しかし、これは化粧により実際にかわいくなったからではない。なぜそう言い切れるかというと、私の化粧の下手さは”塗りすぎる”ではなく”薄すぎる”タイプだったからだ。
実際に対面すれば化粧をしていることはわかるが、写真を撮れば化粧の効果は無に帰す。顔自体はスッピンのころとさほど変わらなかっただろう。それでも、周囲からの扱いが変わったのだ。
これが、男の子からの扱いが変わったの♡といった話ならわかりやすいのだが、男子からだけではなく女子からの扱いも明らかに変わったのだ。ていうか、なんなら女子からの扱いの方が変化が大きかったのだ。なんというか、私がかわいい女であること前提で話をされることが増えた。
そして、服装にも気を使うようになると近所のおばさんから「ほんと女の子になったよねぇ!」と言われた。この時、私は正直うれしかった。
"かわいい女の子"という土俵に上がった途端、一定のかわいい評価がもらえたのだ。
これは、雰囲気イケメンにも同じことが言えると思う。彼らは目鼻立ちはイケメンではないものの、「オシャレをする」というイケメンの土俵に上がっているからイケメン偏差値が10ほど上がるのだ。土俵に上がると自動的に偏差値が上がるようになっている。
20歳目前になって、人生で初めてこの土俵効果を体感した私にとって、これは結構な衝撃だった。
それから、色の合わせ方等のセンスが皆無な私は服装よりも化粧に力を入れるようになった。
コンプレックスだらけだった顔が少しずつ変わっていき、周りの女子にも「今日かわいいね」なんて褒められる。
純粋に楽しかった。
そんな折、できた彼氏は大の化粧嫌いだった。
私が休日気合いを入れてメイクしていく顔よりも、仕事帰りのほぼスッピン顔の方がいいと言われた。
革命を起こされたレベルの衝撃だった。価値観を根底から覆された。
この件については、結構な喧嘩をしたりもしたのだが、これを機に私はなんのために化粧してるんだろう?と考えるようにもなった。
色々考えた結果、やっぱり一番の理由は自分が楽しいからだった。
よくそんなに自分を偽ってなんの意味があるの?と問う男性が居るが、こっちからすると逆にずっとスッピンで居るけどそれって何か楽しい?と問いたい。
化粧をするとね。楽しいんだよ。
新しいリップやシャドウを買って試して、それが自分にドンピシャだった時の高揚感たるや!
なにより、自分のために時間と知恵をかけるのはこの上なく楽しい!!と知ったから。
別にスッピンを批判するわけではないが、化粧を批判する声には否を唱えたい。
そもそも、なんで自分を偽ることをそんな否定されなきゃいけないのか。「ありの〜ままの〜♪」って歌が流行った時にはあれだけ皆「ありのままでいいわけあるか!」って怒ってたのに。
私は化粧してると楽しくて生活が少し明るくなるの。あなたにもそういうものあるでしょう?
そういうのを知りもしないでドヤ顔でけなされたらまぁ、怒りますよね。